プレゼン資料には「AI臭さ」があってもいい場面があります

AIによるコンテンツ生成が当たり前になる中、クリエイターやライターの間で「AI臭さを消す」という作業が話題になっています。

しかし、そもそも「AI臭さ」とは何を指すのでしょうか。 そして、本当に消す必要があるのでしょうか。

「AI臭さ」の正体

「AI臭さ」とは、AIが生成したコンテンツに共通して見られる特徴のことを指します。

ジャンルによって現れ方は異なりますが、大きく分けると以下のようなパターンがあります。

画像生成AIの場合

Midjourneyは光沢感のある質感や独特のライティング、DALL-E 3はイラスト調でやや平面的な仕上がりなど、ツールごとの「癖」が存在します。

文章生成AIの場合

ChatGPTは柔らかくフランクな文体が得意で、Claudeは固めで真面目な文章を生成しやすい傾向があります。

プレゼン資料の場合

Gammaはグラデーション背景と整然としたカード型レイアウト、Gensparkは情報を詰め込んだ構成、Canvaはデザイン重視で文章が短め。

プレゼンには「型」がある

講座でお伝えしていることなんですが、プレゼンにおいては、資料や話し方に型があって、それに当てはまっていること自体は良いことです。

わかりやすい構成、視認性の高いレイアウト、伝わる話し方。 これらには「正解」に近いものがあり、似たようなデザインは世の中に溢れています。

だからこそ、プレゼン資料は「伝わればいい」という場面が多い。 オリジナリティよりも、内容の方が価値を持つ場合もあります。

「いらすとや」問題との類似性

クリエイターが感じる「AI臭さ」の感覚は、正直なところ専門外の自分にはわからない部分もあります。

ただ、近い感覚として思い当たるのは、プレゼン資料に「いらすとや」が使われているのを見たときの印象です。

コンサルタントの高額な提案書に「いらすとや」のイラストが並んでいたら、どこか違和感があります。 「この金額でこれ?」という気持ちが生まれるかもしれません。

しかし、社内勉強会のスライドや、ちょっとした説明資料であれば、ほとんどの人は気にしません。

「いらすとや」はむしろ親しみやすさの演出として機能することすらあります。

「AI臭さ」も同じ構造ではないでしょうか。 問題なのは「AIを使ったこと」ではなく、「その場面にふさわしいか」という文脈の方です。

消すべき場面・消さなくていい場面

結局のところ、「AI臭さ」を消すかどうかは、状況によって判断すべきです。

消した方がいい場面

  • オリジナリティやプロフェッショナルとしての信頼が求められる場面(提案書、ポートフォリオ、クリエイティブ納品物など)
  • 相手がAIツールに詳しく、「AIで作った」と見抜かれる可能性が高い場合
  • 自分の思考や意見が問われる場面

そのままでも問題ない場面

  • 社内資料や下書きなど、スピード優先の場面
  • 相手がAIツールに馴染みがない場合
  • デザインより内容の正確さが重視される場面

「AI任せ」の本当の問題

もう一つ意識しておきたいのは、ツール依存によって中身が伴わなくなるリスクです。

以前、プレゼン練習会でこんな場面がありました。

Gammaで生成した資料をそのまま発表した人が、初見で話していて内容を把握できていなかったのです。

これはツールの問題ではなく、自分の頭で考えていなかったことの問題です。

AIで作ること自体が悪いのではなく、そこに自分の思考が乗っているかどうかが問われています。

まとめ

「AI臭さを消す」という作業には一定のコストがかかります。 すべてのケースで消す必要はなく、場面に応じて使い分けるのが現実的な判断でしょう。

高額な提案書に「いらすとや」は避けたい。 でも社内資料なら気にしない。

「AI臭さ」への対応も、基本的にはこれと同じ話だと思います。

このブログは私の気づきをClaudeで書きましたが、AI臭さはありましたでしょうか?